martes, agosto 14, 2007

FOTO 283 - DETALLE DE LA FACHADA DE LA PLAZA DEL OBRADOIRO


Detalle de la Fachada del Obradoiro
Catedral de Santiago de Compostela
Galicia
2007 © R. Blanco
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(-のじゅんれいろ)は、キリスト教の聖地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。

概要

サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。フランスでは、「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」の主要な4つの道がスペインに向かっている。スペインでは、ナバラ州からカスティーリャ・レオン州の北部を西に横切り、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう「フランスの道」が主要である。

スペイン語では、El Camino de Santiago(サンティアゴの道)または単にEl Camino(道)と呼ばれる。フランス語ではle chemin de Saint Jacques(サン・ジャックの道)と呼ばれる。

世界遺産

巡礼路のうちスペイン国内の道は、1993年に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としてユネスコの世界遺産に登録された。紀伊山地の霊場と参詣道と並び、世界でも珍しい道の世界遺産としても知られている。登録された道は、後述の「フランスの道」と「アラゴンの道」に相当する。フランスの巡礼路の一部と途上の主要建築物群については、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として1998年に別途登録された。

登録基準

この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

* (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
* (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
* (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。

歴史

伝説によれば、イエスの十二使徒の一人聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。813年、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりにヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者がヤコブの墓を発見したとされる。これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。



サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古である。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物崇拝によるところが大きい。

また、巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタとも連動した。ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。

巡礼は、スペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐことにもなった。巡礼者の中には建築家もおり、彼らはヤコブに捧げるために、巡礼路に沿った都市にロマネスク建築による多くの教会や修道院を建てた。

レコンキスタの完了や、百年戦争、三十年戦争による混乱によって衰えた時期もあったが、巡礼は現在まで続いている。現在の巡礼者のスタイルは、徒歩、自転車、車などさまざまである。また、ガリシア州政府は観光の目玉として巡礼路をアピールしている。

巡礼路

フランス

フランスからは、巡礼の中心地であった都市を拠点として4つの道がピレネー山脈に向かっている。

* トゥールの道(fr)

パリ - オルレアン - トゥール - ポワティエ - サント(fr) - ボルドー - オスタバ(fr)

* リモージュの道(ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)(fr)

ヴェズレー(fr) - ブールジュ/ヌヴェール - サン=レオナール=ド=ノブラ(fr) - リモージュ - ペリグー - オスタバ

* ル・ピュイの道(fr)

ル・ピュイ - コンク(fr) - モワサック(fr) - オスタバ

* トゥールーズの道(サン・ジルの道)(fr)

アルル - サン・ジル(fr) - モンペリエ - トゥールーズ - オロロン(fr)

トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバで合流し、サン=ジャン=ピエ=ド=ポル(fr)を通ってピレネー山脈のイバニェタ峠(fr)に向かう。トゥルーズの道は、オロロンからソンポルト峠に向かう。

スペイン

巡礼路はピレネー山脈の峠でスペインに入る。サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからイバニェタ峠の道はスペインのナバラ州、オロロンからソンポルト峠の道はアラゴン州に入り、プエンテ・ラ・レイナで合流する。

* イバニェタ峠(fr) - ロンセスバリェス(es) - パンプローナ - プエンテ・ラ・レイナ(es)
* ソンポルト峠(es) - ハカ - サングエサ(es) - プエンテ・ラ・レイナ

サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは「フランスの道」(en参照)と呼ばれ、巡礼路でもっとも重要な道である。ソンポルト峠からプエンテ・ラ・レイナまでは、「アラゴンの道」(en参照)と呼ばれる。また、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからプエンテ・ラ・レイナまでを「ナバラの道」(fr参照)と呼ぶこともある。

プエンテ・ラ・レイナからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道は次のとおり。

* プエンテ・ラ・レイナ - エステーリャ(es) - ログローニョ - サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ(es) - ブルゴス - カストロへリス(es) - サアグン(es) - レオン - アストルガ(es) - ポンフェラーダ(es) - ビリャフランカ・デル・ビエルソ(es) - ペドロフィータ・ド・セブレイロ(gl) - パラス・デ・レイ(gl) - サンティアゴ・デ・コンポステーラ

その他

このほかに、イベリア半島には次の巡礼路もある。

* 北の道 - バスク国のフランス国境に接したイルン(es)からビルバオ、サンタンデール、オビエドを通ってガリシアに向かう海沿いの道。
* イギリスの道 - 海路でフェロルまたはア・コルーニャに上陸し、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう。
* ポルトガルの道 - ポルトガルのポルトからパドロン(es)を通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう。
* 銀の道 - セビリャからメリダ、カセレス、サラマンカ、サモラ、オウレンセを通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう。もともとは古代ローマ時代の道である。
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